最近になって俺が兼業スロッターであることをリアルな友人たちに話す機会が増えてきた。
そこで気づいたことがあるんだけど、それは自分にとって晴天の霹靂であり衝撃的でもあった。
俺にとってのスロットはギャンブルであり、真剣勝負であり、ある意味でスポーツのような感覚の勝負事。負ければ悔しいし勝てば嬉しい、いわば戦いの場として捉えていた。それは今も昔も変わらない。
でも世間の大多数の意見はそんな大袈裟なものではないことに気付かされた。これは衝撃だ。
パチンコ、スロットはギャンブルじゃない

俺にとってのスロットはギャンブルの領域を超えて、人間vs機械の戦いというようにすら解釈している。まさに全面戦争。俺っち対ホールマシン軍団と言っても過言ではない。
そんな因縁の戦いにおいて勝利をおさめているのに、俺の話をスロット好きな友人にしたところで皆同じような物足りないリアクションになってしまう。むしろ幾分か冷ややかな対応にすら感じてしまっていた。
逆の立場だとして、俺が養分スロッターで目の前にスロプロの知人がいたとする。俺ならお願いだからその勝ち方を教えて欲しいと、犬のように尻尾をブンブン音を立てて振ってしまうのを想像できる。長い期間パチ屋に貢ぎ続けていた俺にとって、パチプロの存在は英雄と同列かもしれない。
がしかし、周りはそうでもなかった。
それはなぜか?
パチンコ、パチスロはエンタメだから自分は勝てなくとも良いという多数派による意見があった。「勝っても負けても楽しければ良いんじゃない?」という慈愛に満ちた大人な価値観。楽しく負けてパチ屋も潤うのだからむしろWinWinな関係をお互いに築いている。
つまり勝敗の行方なんてどちらでも良くて、あくまでもゲーム感覚でパチ屋に通っているわけだ。そんな感覚でいいのなら俺なら家でプレステでゲームしていたいけどね。
ギャンブルもエンタメの一部のコンテンツであることは理解している。でも俺が言いたいのはそういうことじゃない。想像していたより遥かにゲームや娯楽に寄った考えをしている人の方が多いことが理解できていなかった。
TDLと同じ感覚かもしれない
以前何かのメディアでパチ屋の社長の取材を見かけたことがあるんだけど、
パチ屋で1日遊ぶと平均2万円かかる。ネズミーランド行って1日楽しんでも2万円。これは同じことなんです。
と話していた。つまりエンタメとしてTDLと同列ということなんだ。しかもリピート率だって負けてないと思う。
俺はネズミーランドに行ったことはないので予算のことはわからないけど、勝てなくても楽しむために足繁くホールに通うということは共通している。確かにそうでなくてはパチ屋はこんなに繁盛しないよね。

勝ちたい人は少数派
そんな訳でパチンコやスロットに勝ちたい人って、思っていたよりも少数派なんだなと分かった今日この頃。
楽しいエンタメのはずなのに怒りに任せて台を叩いたり、ホールの自動ドアに唾を吐いたりする病気の客だって少なからず存在している。そんな輩は少なくとも楽しそうには見えない。でもきっとストレスの発散の仕方が不器用なだけで、本気で勝ちたいと思って怒っているわけではないのだろうと考えるようになった。あれはきっと小学生が好きな女の子に対して「ブス!」って愛情表現しているのと大差ないんだ。
そんな中で俺たちのように本気で勝つことを実践している存在は明らかに異質だ。異質だからこそ少数派を保てている。むしろプロは目立ってはいけないから少ないくらいがちょうど良い。
パチンコユーザーがギャンブルだと思っていない事実
ここまで語って長くなってしまったが、ネットやニュースで度々取り上げられるパチンコはギャンブルなのかそうではないのか問題がある。これに対して結論が出たのではないだろうか。
パチンコユーザー自身が、パチンコやスロットのことをギャンブルだとそもそも思っていない。
確かにパチ屋で勝った人達は換金所でお金を受け取っていることに間違いはない。でも、リピート率の高いパチンコ屋にとってはお金を渡したところで明日の資金になるだけだから問題はない。
ある意味では、昔あったゲームセンターのメダルのように、再プレイするためのメダルを家に持ち帰っているだけに過ぎない訳だから、あくまでも遊戯の延長線にある。皆んなが換金所で受け取っているのは貨幣の見た目をした再遊戯チケットなんだ。
たまたまパチンコはギャンブルの形式のようではあるけども、結果的にゲームのようなエンタメとして社会に確実に溶け込んでいる。
冒頭の話題に戻るけども、これほどまでに一般のパチンコユーザーと考え方が違っていることに俺は驚いた。同時に、これはパチンコユーザーの感覚が麻痺しているだけなのか、それとも俺の考え方がズレているだけなのか新たな疑問を持つことになってしまった。


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